法音寺は、文明12年(1480)創建、浄土宗に属する寺院です。
正式名称を「演暢山 観光院 法音寺」(えんちょうざん かんこういん ほうおんじ)と申します。
法音寺は、芝の名刹「西應寺」の宿坊(僧侶の宿泊所)として室町時代に建てられました。
当時は小さなお堂だけで、江戸湾に面してた玄関には潮が満ちると海水が押し寄せていたそうです。
江戸時代になると、浜辺が埋め立てられ東海道が整備されます。そこに併せて東海道沿いの寺院は幕府庇護の下、増上寺を中心に拡張整備が施され、戦時下の兵士控所「武者だまり」として、また「寺請制度」により町民の戸籍を管理する役所として、寺院の役割が大きく変わって行きます。宿坊だった法音寺も檀家を持つようになり、本堂・観音堂と伽藍が建立されました。当時のお檀家さまは、芝浜の漁師町という土地柄もあり多くが漁師でありました。境内に入るとすぐ観音堂があり、漁師は漁の無事と大漁を願い、観音さまに手を合わせていたようです。
昭和になり第二次世界大戦で東京は焼け野原となりました。法音寺も全焼しました。戦後は小さな本堂を再建し法務を勤めておりましたが、昭和55年(1980)創建500年を記念して本堂を改築し、「明るく、正しく、仲良く」仏教の教えを体感できる開かれた寺院として今日に至り日々精進しております。
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○ 演暢山(えんちょうざん)
演暢とは、「広く説きのべる」という意味。
○ 観光院(かんこういん)
観光とは、「観音菩薩の光を観る」という意味。
○ 法音寺(ほうおんじ)
法音とは、仏さまの言葉「説法」という意味。法音寺のご本尊、阿弥陀如来の印相は「説法印」を結んでおり、まさに「法音の阿弥陀さま」であります。